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悲しい思い出22

病院内で、いろいろな人達との接触をしてきたが、キラー先生がやってきてからの母は充実した日々だったのではないかと私は思った。


実は母は若い時に猛勉強をして医大に入学した経歴をもっていた。
残念ながら、卒業はしていない。


母が入学したいと思った動機は、高校の家庭科でドーナツを作るという授業の中で、クラスメイトと共に顔に大やけどを負うということがあったそうだ。


最初に行った医院は全くダメで、次に行った病院の副院長先生が母の治療を引き受けてくださった。
1日4回の受診をさせて頂いたおかげで、母の顔にはほとんどやけどの跡がなくなっていた。
そう、私が見てもそんなやけどの跡を見つけるのは難しいくらいだった。


当時35歳ぐらいだったという独身の副院長先生に母はあこがれ、あちらは母に恋心を抱かれたそうだ。
相思相愛の関係であったらしいが、当時は現在のように恋愛は自由ではなかったようだ。


母が副院長先生と一緒に仕事をしたいと思った矢先の3年生の終わりごろ、副院長先生はいくつかの手紙を母に送っていたそうだが、
急死されてしまった。


その喪失感と元来消化器系統が弱い母は、精神的にも学校に通うことが難しくなったそうだ。


私が生まれる、かなり前の話なので、どういうことだったのかの詳細はわからない。


しかし、医大出身(中途退学)の患者と医大で10年に一度の秀才と言われたキラー先生との会話ははずんでいたようで、母の表情も明るくなっていった。