悲しい思い出29
母はその場でしゃがみ込んだ。
警察の人が来る頃には、ソファに座らせたが、もはや心ここにあらずの状態の母に対して、警察の人の問いには殆ど答えられずにいた。
殆どすべての財産と言ってよい現金は多額であった。
この金額で母の余生を支えられると思っていたが、もはやそれは叶わない話だった。
それよりも、月末にやってくる支払いをどうすればよいかが問題だった。
豪邸でもない、路地にある別棟の母が休んでいた離れになぜ強盗がきたのかは全くわからなかった。
ただ、この離れに私達がいれば確実にタダではすまなかったことだけはわかるような気がした。
そんなことがあった数週間後のある日、電話がかかってきた。
「主人が亡くなりました・・・。」悲しく寂しそうな電話の向こうの女性は、私に貝の味噌汁をくださった女性の声だった。
静養に家族で行った先が、その方の家だった。
ご主人と奥様が、私達家族を歓迎してくださったわずかの間に、ご主人が逝去されたという知らせであった。
本当なら、命の恩人と言ってもよい方が亡くなられたのだが、この時の私達はもはや何もできない精神状態となってしまっていた。
気には、なりながらも遠い地からお祈りするしかなかったのだった。
それから、わずかに残ったお金で月末に支払いを済ませた後、私は夢中に働き、その後母も手伝うようになってくれていた。
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それから、十数年の月日が流れた。(第4話にもどる)
看護師主任に促すようにベッドの確保を集中治療室にとお願いした私だが、当然のことながらまた母がパニックになるかも知れないというリスクは覚悟の上だった。
2,3日の時間を稼ぐことで事態を考えたかった私だった。
「いつまでも廊下にいないで、移動して・・・。」
看護師長さんの声が後ろから聞こえた。
看護師長さんが、個室にいる患者さんの一人にお願いして部屋を空けてくださったのだった。
私は、ものすごく喜んだ。
これで、しばらくして安静できたら・・・、母と一緒に家に帰れると思っていたのだった。
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