悲しい思い出25
『先生、私は先生に質問させて頂きたいのです。少しの間お時間を頂けますよね⁈』と私はキラー先生をにらみつけるように言った。
私は別にキラー先生をにくんでいいる訳ではない。
むしろ、病院生活の中で母の表情が明るくなったのだから感謝するべきだった。
けれど、このままだと私の母はまた病態が悪化に戻るのが明らかだった。
当時の[再生不良性貧血]という病気は、原因不明の謎の病で、特定疾患としても登録されているものだった。
生存率15%・・・、ほぼ奇跡に近いといってもいい確率の病に、私と母は挑んでいた。
もちろん、キラー先生とて同じ思いに違いなかった。
ところが思いは同じでも方法が違っていると私達親子は思っていた。
キラー先生は、ステロイド薬を多く投与することで、効能が上がると思っていたのだった。
この考えは死神先生も同じだったようで、このタイミング(もう輸血の必要性が薄くなった頃で患者の体力も回復しつつある)ステロイド薬よりももっとも効果が期待できるステロイド剤(注射剤)をするべきだという仮説を現実にしようとしていた。
医師たちは、もっとも患者の病態を回復させるための試みであったろうが、治療が確立されていないこと、実際には医療自体では効果がおもわしくないことをあまり認めてはくれていなかった。
というのも、私はルンルン先生に薬の減少を申し出ていたが保留されていた。
そして、死神先生には、素人のたわごと扱いをされてしまっていた。
確かに素人である私の意見が通らないかも知れないが、私なりに彼ら医師の方々にはコミュニケーションをとる努力をしていたつもりだった。
しかし、キラー先生は、家族とのコミュニケーションをとらない人だったから、このゲリラ的な方法しかないと当時の私は思っていた。
母の病室内で私とキラー先生の質疑応答が繰り返されたのは言うまでもなかった。
結局、10年に1度の秀才と言われたキラー先生は、質問も的確でするどかった。
けれど、ステロイド剤を入れられたら困る理由を私が白状するまでは終わることはないと、私は途中で感じ、自分が言いたいことをいった後で白旗を揚げることにした。
キラー先生に私が言いたかったのは、ステロイド剤では分量のコントロールができないことだった。
ステロイド剤は注射剤であるため医師の処方箋どおりとなり、その日の病態での加減ができなかった。
つまり、ステロイド薬ならば素人の家族または患者でコントロールでき、しかも今までの回復劇はそれによるものだったと白状したのだった。
これが完全に治癒できる方法の薬剤であったなら、そんな無謀なことは決してしなかったともいった。
しかし、これは患者の家族の勝手な屁理屈だと非難されても仕方がないものっだったかもしれない。
けれど、他の患者の家族である女性からの貝の味噌汁の話は忘れずにキラー先生に告げた。
私にとって賭けであった。
医療機関の指導を無視したのだから、即退院も仕方ないと思っていた。
このままの病院の方針の治療を受ければ、また母の顔はパンパンに膨れ上がり、寝たきりになると私は思い込んでいた。
キラー先生は私が白状して、白旗を揚げるとしばらく沈黙していた。
もはや、退院は避けられないと私は思っていた。
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