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悲しい思い出4

「どうしましょうか?困ったわ・・・。」


看護師主任は私につぶやくように言った。


病院の廊下は適温で保たれているとはいえ、人が往来するところで安静が必要な母には不適切な場所であるには違いなかった。


「こうなったら、他の科に空きのベッドがないか問い合わせないと無理みたい・・・。」


そう言って私の前から動こうとした看護師主任に私は言った。
「この病院内なら、何かあれば先生が来てくださるでしょうからいいとは思いますが・・・、精神科だけは問い合わせから除外をお願いします。」


精神科は、この病院内でも別棟にあった。
母と私はかなりここの病院に通院しているため、患者が通れるところはすべて熟知していた。


しばらくすると、看護師主任は再び私のところにきた。


「う~ん、どこも難しいのよ。本当にここ最近はベッドの空きがないから・・・。」


看護師主任はできれば他の病院を紹介したそうなそぶりだった。


しかし、私は最後の切り札を看護師主任に告げた。
病院の特別室は最近ではどこでもあるけれど、こういった大病院ではそう簡単には空いてはいない。


そう、個室代が高くても、そんな金額を気にしない人達がこの世の中にいることは私にもわかっていた。


「看護師主任さん、それなら集中治療室に行かせてください。あの場所がふさいでいるのを私は一度も見たことはないですから・・・、
お願いします!」


集中治療室は、一度母が2泊ほどした場所だった。
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母が60歳のときに緊急で搬送されたが、機械だらけの部屋はまるでロボット製造工場にいるようだった。
その中で生の人間がいると妙になまなましく、どの人をみても助からない人達を見ているように感じた。
家族が患者に近づくときも、完全防具の防菌対策をして集中治療室にはいらなければならなかった。


あの当時の母は、集中治療室に入れられたことでまわりがそんな環境だから死を覚悟してしまっていた。
いや、少なくとも今死ぬ状態ではなかったにもかかわらず・・・なので、病気は気からだとよく言ったものだと私は思った。


後に笑い話となったが、私から連絡を受けた弟が勤め先から帰った夜に集中治療室にいる母の様子が知りたくて母に会いに行くと、
「先生、この度はお世話になります。」と母が弟に挨拶をしたというのだ。


母にすれば、防菌防具の格好は頭も顔も一部の肌いがいはすべて見えていないのだから、弟を医師と間違えてもしかたなかった。
けれど、その時も緊迫していた雰囲気の中で母の母の誤解は私達家族には、救いのようなエピソードだった。


それから2か月間、病院で検査尽くしの毎日となった。


兄の提案で当番制にして母を看ることとなった。


そんなある日、疲れている母に寄り添っている私も疲れていた。
当時、まだ旧病棟だった建物の廊下には屋根がついた野外だった。
夜風は少し私の気分を和らげていた。


そんな折に、私に誰かが近づく気配を感じた。
私とほぼ同年齢の研修医の彼女だった。


「あれほど検査しても(あなたの)お母様の原因はわからないのです。
けれど、この症状はなぜか発症者が多くなっています。」と私に言った。


私は彼女に私の疑問を問いかけた。
『先生、こんな状態はいつまで続くのでしょうか?
母は治りますか?』


研修医は静かに、そしてゆっくりと私の目を見ながら話をつづけた。


「大変お気の毒ですが、この病気の治療方法は現在わかっておりません。
そればかりか発症の原因するわからないのです。」
彼女は、つらい宣告を私に告げにきたのだった。


私も彼女の目をみながら言った。
『それでは絶対に治らないとおっしゃるのですか?
生存率はゼロだということなのでしょうか?』


私の問いに彼女はゆっくり首を横に振った。
「いいえ、治った方なら、実はいらっしゃいます。
生存率は15%です・・・。」
そういうと研修医は私に背を向けた。