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黄昏の時

30代だった時の私。
どれほど50代の人達が羨ましかったでしょうか。


あの時の私は、いつも必死でした。
そして、生きる意味も分からず、ただ仕事漬けで、時折に母と旅行に行く以外は友人とも会わなかった日々。


もう、友人達には子供ができていて、この時から話題がそれていました。



40代の私。
やっぱり必死でした。
なんで、いつまでも私の努力が報われないのかと思いました。


母もだんだん身体が弱り、誰も幸福にしてあげることはできず、いつしか心に鎧をつけていました。
誰にも負けない、負けたら母を不幸にする。
必死でした。


50代の私。
母を守り切れませんでした。
1人だけの介護は限界。
1時間おきに母に起こされる日々。
仕事にも支障がでました。


どうしても眠りたくて、大学病院の医師に相談にいきました。
大学病院は、母を通院させていたところです。


待合のすきを利用しての私自身の受診。
医師は「お正月ならベッドがありますよ。では・・・ということにしましょう。」
と私の窮地を理解していってくれ、診断書に「・・・の疑いがあるため検査入院」と書いてあったそうです。


お正月過ぎ、母の事を弟に丸投げして逃避入院。
頭から足の先まで線をつけて検査することに・・・。


翌日の朝、
看護師さんたちが飽きれた顔で私にいいます。


「どこが不眠症ですか?38秒で就寝でしたよ?」
笑われながら退院。


家に帰ると、弟がぐったりと疲れ顔
「こんなにお母さんって、具合が悪かったの?明日から仕事だからむり~。」
と言われましたが、その後、弟が休みや早く帰った日は母の介護を手伝ってくれました。



それなのに、私は母をまもりきれずに入院させてしまいました。
私は生まれて初めて救急車に乗りました。
救急車には、家族は1人しか乗れません。
弟が途中まで走ってきましたから、私は「後で」というだけでした。


大学病院につくと、宿直の医師がぶきっちょうな顔で私たちをむかえました。
めんどくさそうに診察して。「ベッドありませんから、帰ってください!」と・・・。


冷たく扱われました。
先日の私を診てくださった医師とは真逆の対応です。


「月曜日にきたらいいじゃないですか?」と投げやりにいう医師。


それまで母の容態が心配で、私はおとなしくしていたのですが・・・ついに、
『あんた!それでも医者か⁈ こんなに苦しんでいる患者を目の前にして月曜日に順番を待って受診しろというのか⁈あんたは鬼か?」豹変した態度となった自分に驚きましたが、相手の医師は顔色一つ変えません。


私は医師を無視して、そばにいた看護師さんに声をかけました。
「看護師長さん、ベッドがないなら廊下の長いすでいいから母を休めさせてください。」とお願いした。
『そんなことは無理です」という看護師長に私は「帰らすほうがよっぽどむりでしょうが、あなたもプロなんだから、それぐらいわかるでしょう?こんな素人の私ですら、母の容態が悪いのがわかるのに・・・。」と。


看護師長はしばらく考えて看護師主任と相談をはじめた。


それからすぐ、母の容態は急変する。
バタバタと看護師さんたちが動き、「医局!」といいながら内線電話をしだす。


私は、母のそばに寄り添うしかない。


ストレッチャーで処置室に母は運ばれる。
別の医師が現れ「ご家族はここまで!」といい、私はその場の椅子に座る。


ようやく追いついてきた弟がきて、母の急変に急いで近寄ろうとして処置をしている医師に「出ていけ!」と怒鳴られていた。


私もなんで弟が処置中の母のそばにいくのかとたしなめる。
「母に呼ばれた気がした」と力なく弟は私のそばに座った。


幸運にも母は快復した。
10年後、私は一人になった。


守り切れなかった思いと共に、私の人生も黄昏時を迎える。
50代、60代の夫婦らしい人々が仲睦まじく歩いていく。


私にはない環境。
せめて、一人でも私の環境を味わう人が減るようにと願う日々。