生きてはいない日
今日から春のお彼岸が始まった。
お寺さんからの便りで知る。
いつも人知れず参拝したいと思っているから、初日ならば・・・そんなに人に出合うはずもないと思った。
けれど違った。
世の中は、新型コロナウイルスが流行っているから、さすがに子供の姿はないけれど、寺院の駐車場の前はずら~っと車が並んでとまっていた。
住職に加えてもう一人の僧侶との2人と、いつもの方々に加えお手伝いの人達が・・・。
ご祈祷してもらってから、お墓に行く。
寂しがりやの性格は、母ゆずり、ご先祖様ゆずりの私。
母、祖父母と叔父・叔母・幼くして亡くなった英ちゃん、伯母と伯父そしてもう一度母もところへ。
いつも順番は一緒。
けれど、今日はビル風がきつい墓地だからまた寺院の建物に戻って、お線香に火をつけて急いでもどらなけれはいけなかった。
いつもと違うのは、他の親戚のところに行ったぐらいだろうか。
途中で道を忘れてしまうほど行っていない。
それでも、何故か困ったときに思い出しては墓参りに行く。
それは、私がわがままばかりを言っては困らせたから・・・かも。
もう、はるか遠い日となった。
帰宅したら、お昼をとうにすぎていたのでお腹がすいた。
お腹がすくのは生きている証拠。
仕事をするつもりだったが、身体が思うように動かない。
咳がでて、身体の節々の痛さを感じ、風邪薬をのんで眠る。
病気や病気になりそうな気がして、眠る日は人生の中で私には必ずある。
こんな日は、私としては生きてはいない。
仕事もしない。
ただ、食べて眠るだけ・・・。
明日こそ、いつもの生活に戻ろうと思いながら、何もない今日が過ぎていく。
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