孤独の孤独
母が逝ってしまってから、6年になる。
今年は七回忌となる。
去年、偽りの息子となった兄の子がやってきた。
何も知らないとばかりに、私のところへやってきたのだ。
もはやいい大人の年齢である。
それでも、母にとっては可愛い孫には違いなかった。
だから、私は彼らの親の非道を責めず、亡き母が彼らの幼い頃に手を差し出したことを思い、やってきた彼1人だけを許すことにした。
けれど、私は母とは違う。
彼の本心を見るまでは、心を許すつもりはない。
彼が住んでいる家は、私と母がつらい思いをしながら、頑張ってきた証の家だ。
そこに彼らの貢献度はない。
それでも、彼らの家になったのは、私が争う時間を費やすほどの時間がないからだ。
とはいえ、今の私が住んでいる家は私が死ねば住宅ローンの保険が作動する可能性は大である。
それを彼らは、リアルタイムで見たいのかもしれない。
一個人として、私に会いにきた彼だが、誰かの意向が加わっていないともかぎらない。
それでも私は猜疑心を彼に向けることをやめた。
現実は、彼を法事に招き入れようとしたが、彼は来ないという事実だけがある。
これが現実。
最後の私の譲歩は終わったのかもしれない。
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