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日課と決意

happy-wing-kのブログ


「運命の出会い母が亡くなって5年になる。


母の具合が悪くなる前から、私は医者通いの身となった。



それまでも体調不良となる日があったが、よく眠れたので風邪もインフルエンザもすべて市販の薬を頼っていた。


けれど、2ヶ月も声がでない・・とか、虫歯の放置とかで医者通い、母の病院通い(11年間)の日課となった。



母に11年間も寝込まれると、入院代はバカにならない。


というか、街中の新築マンション一戸は購入できる。



これを他の兄弟は一銭も身出しをしていない。


母と私の蓄えで何とかやったが、最後の一年はさすがに途方にくれかけた。


以前から弟に「足らなくなったときに、あんたの蓄えを頼むわ。」と言っていた。


最後の手段に手を伸ばしかけた時に、母は亡くなってしまった。



残ったものは、家だけだった。


兄の家は、母が兄のために建てた家だ。


返済は必ずするからと母にお金を借りて、住宅ローンを組んだ兄は5分の2の所有権を取得していた。


けれど、親子間ということもあり借用書がないのをいいことに返済しなかった。


残りの5分の3は、母名義の住宅ローンだったが、これを母と一緒に暮らしていた私にも負担となった。


やっと、最近返済が終了した家を兄は当然の権利だと言い出した。


それだけなでは足りず、私が住んでいる家もよこせ!(住宅ローン返済中)という。


そして、私には借金(住宅ローン)と両親の仏さんだけやるというのだ。



こんな理不尽なことを、母の100日法要で、しかもホテルの喫茶室で6時間も延々と威圧するのである。


弟も側にいたが、「どちらの味方もできない」という姿勢に私は困り果てていた。


まったく折れない私に業を煮やしたのかのように兄は弟に「おまえの家もだせ!そして貯蓄もよこせ!」と言い出した。


私は唖然としてしまった。


兄の家も、私の家も母がからまる話だから仕方ないが、弟の家どころか弟が長年頑張った貯蓄が何故このタイミングで話題にあがったのか、まったく考えられなかった。


まるで当然のようにいう兄だが、実は喪主は私であった。


それも兄が私にするように言ったのだ。


私が物心ついた時から、長男だ!兄だ!と言っていたが、私が母の葬儀を終えた頃から、これも疑問視にするべきだったのかもしれない。



まるでおとなしかった弟が激昂しだしたのは、いうまでもない。


威圧する兄に、私と弟が冷たい視線を向けながらも睨み返す。


「お前ら、共謀しやがって!」と怒鳴る兄に、更に冷たい視線を向ける。



その頃になって、やっと兄嫁が登場する。


おそらく、このタイミングなら話が終わっているとおもったのだろうか?



向こうにいた兄嫁に説明するかのように行った兄を視線で追って兄嫁を見る。


何か二言三言交わした兄夫婦、そして兄だけが帰ってきて、兄嫁はそのままどこかに消えていった。


私たちがいるのに、最後まで挨拶もなしだ。



それからしばらくして、私と弟はやっと兄の威圧から解放された。


それから2週間して、一家で懇意にしていた弁護士さんから連絡がきた。


兄が私を訴えるというのだ。


私のことを噓八百言ったらしいが、母が表にたっていた頃からなので、私とさほど話したことが少ない先生だ。


兄は結構、無茶苦茶なことをしては、その先生に世話になっていたらしい。


私は兄を家から追い出そうとしている強欲な妹となったらしい。



この頃になると、私は完全に心に余裕をなくしていた。


兄の味方となると考えると、先生に一喝してしまった。


すぐに謝って、説明するも彼のプライドがズタズタとなってしまったと思う。



どんな一流の弁護士さんでも、私が握っているものを見せれば裁判がすぐに終わる。


それほどの強力なものを母は遺してくれていた。



それを兄に見せて、コピーも渡したのに・・・欲ボケの男の凄まじい根性がうかがえる。


何も見ていない弁護士さんは可哀そうなものだが、「裁判をしたければ、私の本来の取り分も当然主張するがよいか?と尋ねてください。」といって電話を切った。


あれから5年が過ぎた。


裁判はされず、母の1周忌の法要も3回忌も納骨も兄一家は来なかった。


それなのに、今年の始め兄の子がふらりとやってきた。


「何しにきた?」という私の問いに、社会人となった男が無言となった。


お正月やお盆にやってきては、母と私が歓待して高いホテルの食事も奮発していた。


そのノリで、何でもない日にやってきたのだ。


再び私は「何しにきた?もうあんたらにやるものなどないよ!」というと、また無言となった。


そんな繰り返しの後、「お父さんは、死ぬまで会いたくないと言っていた。」という。


そこで私は「死んでも会いたくない、と言っておいてくれ。」と兄の子に伝言した。


もはや、これで完全に私の中に兄は死に絶えた。


彼らは母も私にも感謝することなく、ほとんど無償で得た家でぬくぬくと暮らしているだろうが私には関係ない。


そう、完全に関係をもちたくなかった。


あの威圧のあと、私はいくつも病気となり倒れてしまった。


どんなことが会っても、もはや会う気はない。


最後に私はいった。


「私が跡取りだ!」そう言ったけれど、本当は言いたくなかった言葉だ。


それに何の意味が、今となってはあるだろうか?



もう、利用される人生はご免だ。