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悲しい思い出10

次の日から、母は私が来るのを以前よりも増して心待ちするようになった。


それと同時に、看護師さんたちも私が母の病室に行くためにナースセンターの前を通ると、声をかけてくるようになった。


慣れない糖尿病の対処方法を彼女たちは私に教えようとしてくれていたのだった。


薬とインスリン注射の打ち方は、ルンルン先生が私に教えてくれたが、
1回では把握できないために看護師さんたちが復習のために再度教えてくれた。


注射針を取り扱うことを怖がった私に看護師さんたちが「夏みかんの皮で練習したらいいよ。」と言ってくれた。


後日、挑戦したが・・・ダメだった。
この様子を死神先生が見て、ため息をつかれてしまった。


静脈をねらって注射するわけではないから、やさしくて簡単だよと言われたけれど・・・やっぱりダメだった。


我にかえった私は、母に問いかけた。
『なんで、自分でやらないの?』と、


母はすぐに私の質問に応えた。
「できないものは、仕方ないでしょ。」


その言葉を受けた私は、そばにいてくれた看護師さんに問いかけるように顔を見た。


看護師さんは、「ほらね。」と言わんばかりの表情で私をみかえした。


母は、幼少の頃はお嬢さん育ちでだった。
母の実家は、戦前には100人の従業員と8人のお手伝いさんを抱える商家だった。


母が父と結婚したときは、父の経済は順風満帆であったが、その後に会社が倒産してしまった。


私は覚えているかぎりでは、すでに我が家は貧乏生活に突入してしまっていた。
だから私は、母のような気質にはなれなかった。