悲しい思い出-エピローグ
病院を無言で出ていくことになった母は、寝台車に乗っていくとき、理事長先生や他の病院のスタッフの皆様の中で、どうしても手があかない人以外は見送りにきてくださった。
私は、その人たちに感謝しながら立ち去った。
けれど・・・、とてもよくして頂いたスタッフの方々には申し訳ないけれど・・・、介護職に従事する人の中にたまに心無い人がいるのも否定できなかった。
最期の母は、意識のない状態であったが不衛生な状態にしているスタッフがいたのは確かだった。
またそんな人とは逆に親切に介護してくださった方々のほうが圧倒的に多かったからこそ、悪行為は目立ったともいえる。
それでも結局私が母のそばにいてあげていたら、母は何の不自由もなかっただろうと思うと、本当に申し訳ないとしか思いようがない。
介護うつになった私を許してほしいけれど、それは虫のいい話にすぎない。
毎日通った病院が無くなると聞いたとき、私はなんとも言えない感情がわいたのを覚えている。
以後、廃院となった病院を何度か訪れたが・・・。
母の葬儀を終えて、2週間後に母の姉である伯母が他界した。
従姉妹が私に言うには、「叔母ちゃんの葬儀終わって、うちのお母さんの病室に行ったんよ。そしたら、うちのお母さんが『今、妹が来てた。』って私に言うんよ。私が叔母ちゃん死んでるんよ、ってうちのお母さんに言ったら、それからなんも話さなくなってしもたけど・・・」
そんなオカルトみたいなことあるのかと私は思った。
もしかしたら、伯母の錯覚だったのかもしれない。
けれど、本当であってほしいとも思った。
母は独りで旅立ったのでないなら、そう思えたら私の心も少しは癒えるのかもしれない。
母と伯母の共通の好物はみつ豆。
けれど、まだ私は仏壇に供えてはいない。
同じ月に消えていった、伯母と愛しき母。
母が会いたいと言った人たちは、伯母以外は故人となっていた。
そして、母の死後に伯母も・・・。
願わくば、会いたい人たちに囲まれて安らかに眠ってほしい。
いや、天空で幸せになってほしい。
今も母を求めて目が覚めてしまう。
眠る前に母を探してしまう。
いないとわかっている。
それでいて、時には母に守られていると思うこともあるが、ほんのわずかな瞬間にしかすぎない。
殆どの時間は寂しさに私は包まれている。
これからは、私の余生が始まる。
誰もが結婚で幸福になるとは限らない。
私の母は、若き日は美女と言われてきた女性だった。
私の祖父は、母を不幸にしようとは思っていなかっただろうが、結果は不幸のどん底に母を落としてしまった。
不幸の連鎖は私たち子どもにも影響がでてしまった。
けれど、私は願う。
少しでも、結婚することが不幸になるということを防ぎたいと・・・。
そうでなければ、不幸な子供たちが苦労のときを過ごしてしまうからだ。
どん底の不幸な結婚をして、さまざまな人達からの裏切りに散っていった女性は、できることなら母が最後であってほしいと・・・。
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