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悲しい思い出39

転院したてのT病院での母の病室で、私は子供をあやすように母のために歌を歌っていた。


「あら、むすめさんが歌ってたの?」
看護師さんが、そういって病室に入ってきた。


「まだ・・・、痛がっておられるようだけれど、もう少ししたら薬が効いてくるから楽になられるはずよ。それより、あなたご飯まだでしょう?時間が時間だから今日は食堂では用意していないから、買ってきたほうがいいよ。」


そう言って看護師さんは、近くのコンビニ店の行き方を教えてくれた。


近く・・・、確かに歩いては行ける・・・遠い、初めての場所でのコンビニ店の場所の距離を私はそう感じていた。


なんとか飲料水と食料を購入した私は病院に戻ると、受付の近くで一人の初老の男性が立っていたので挨拶した。


この男性が、病院の理事長さんであった。


彼の話では、T病院の副院長先生が亡くなったあと、その兄弟の方が病院の跡を継がれるも、やはり体を壊してしまわれたそうだ。
それで、北陸のどこかへ引っ越しをされて今では名前こそTであっても、昔の副院長先生の親族とは何の関係もなくなってしまったそうだ。


私は、副院長先生が亡くなっていなければ、このT病院はどんな形となっていただろうか?とは思ったが、そんなものは単なる空想でしかなかった。


運命・・・、母は私の父と結婚をしたが、決して幸福でななかった。
私が生まれてから、私の記憶がある範囲で言えば、「結婚=地獄」の状態だった。


「すべては子供のため・・・」そう言って泣いている母を見ていた幼い私には、世間のいう結婚観などは全く感じられなかった。