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悲しい思い出37

T病院に行くへと行く道、私は車窓から街を眺めていた。


母は、幼き頃から子の年齢になるまで胃腸薬を手放したことがないくらい消化器系が弱い人だった。
だから、本人はもとより周囲の者まで短命だと思っていた。


前回の長期入院から月日は流れ、3か月間でしか入院できないという規約がなされていた。
まだ治療の段階なのに・・・、そうはいっても母の脳の前頭葉の部分がわずかに委縮していること、そして反応が遅いこと、薬害による糖尿病との闘い、全部病院のせい、他人のせいにしたかったが、そんなことをくよくよ考えても今の私たち親子には何も役立つものはなかった。


今回、倒れるまで母は何か所かの会の役員をしていた。
けれど、もう何もできない。
母の日常生活は終わり、闘病生活となってしまった。


軽車両の介護タクシーの居心地の悪さと気分がすぐれない母は苦しくなったようで、顔をゆがめだしていた。
私は、母の背中をさすってあげるしかなかった。


半年間、T病院にお世話になった後はどうするか?などはこの時は何も考えられなかった。


ただ、街中は相変わらずの風景で、その中を走る軽車両から地図ではわからない病院までの行き方を確認するようにしようと思っていた・。


やがて、山道を走りだした軽車両は橋を渡った。
そして橋を渡った途端に道がなくなった・・・、と私は思い込んだ。


前方は道ではなく、階段であったためどうするのだろうか?と思った。
その先がT病院だけれど・・・、私は運転手の女性の顔をのぞきこんだ。


彼女はなにもいわずそのまま、階段を軽車両でゆっくりとおりていった。


階段のあるスロープをよく見ると、両サイドに車両が利用できるような細い道筋のようなものがあった。


運転手の彼女はこれを利用して降りていった。


しばらくして建物が見えてきた。
しかし、軽車両は玄関のある建物には止まらず、右に大きく曲がった。


するとガレージに続く門があり、軽車両はそのまま入っていった。


「ここがT病院です。」
運転手の彼女は私たちに告げた。