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悲しい思い出36

転院先のわずかな数のリストの中に、聞き覚えのある名前があった。


「T病院」


この病院も半年間だけは比較的安めの値段設定だった。


とはいえ、1日の部屋代はバカにならないものであったが、ここの病院は最初の高額な準備金が要らないところだった。


介護施設のある病院で万が一、患者が亡くなると、準備金の戻し率が低いのはどこも一緒だったが、ここでは準備金が必要とされなかった。
そのうえ、準備金がない分高い値段になるということもないようだった。


この時の母の容態は、激痛のあまり朝晩の生活が反対となっていた。
だからこそ他の患者の迷惑も考えて、とりあえず個室のある病院しか選べなかった。


T病院の病室は個室だけの構成であった。
ひとまず、もう少し落ち着いてくれないと家での介護は無理だと私は思った。


転院の日がやってきた。


行先はT病院。


けれど、この日がくる2、3日前には私は焦っていた。


当時は患者を運ぶ車両がなかったからだ。


寝台車・・・、病院に提示されたが、それはあまりよい響きではなかった。
父が亡くなったときに、父を乗せたという印象が強かった。


今なら当たり前に調達できるだろうけれど、介護付きの車両は殆どわからなかった。
仕方なく電話帳を見て呼んだ車は軽車両で車椅子が、かろうじて運べるかなといったものだった。


母と私を乗せた軽車両は、決して乗り心地のよいものではなかった。


市内から少し外れたT病院、これから母と私はどうなるのだろうか?と不安であった。