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今日は神前結婚式の日

7月21日は、神前結婚式の日だそうです。


神前結婚式・・・、弟はと婚約者はM神社で結婚式をすると私に報告してきました。


母が他界した今、私しか報告するところはありません。



兄夫婦に弟は報告したそうですが、結婚式も披露宴も欠席です。


兄夫婦は、弟の結婚に反対だったのです。


理由は「何で今、結婚するんだ?!」と兄がいったというのです。


兄は弟に、その後暴言をいったそうです。


そして、私の前でも弟の結婚に反対しました。


しかも、母の遺産相続の最中のことでした。



私は兄の本心を知っていましたので、知らぬ顔を決めました。


私はそれまで兄に6時間もかけて、私の分の遺産相続放棄を強制されていたのです。


一般論からも法律からも異常な要求でした。


それでも弟は「兄と姉・・・、どちらの味方もできない・・・。」と、弟の分の遺産相続放棄を兄に申し入れたのです。


弟にすれば、遺産を三等分するから割り切れないのだ・・・、半分なら大丈夫だろうとかんがえたのでしょうが、私はそんなことで済むとは思いませんでした。


弟は、私と兄のやり取りを見てもわからなかったのです。



兄の要求はそれで収まるものだと思っていたのでしょうか?


いつも、そんなことでは収まらなかったのですが、常に私は母に説得されて泣き寝入りをしてきたのでした。



しかし、もう母はいません。


介護は施設の方々にお願いしていたとはいえ、毎日母のところに通ったのは私だけです。


弟は土日の仕事のない日。


兄は最初こそ月一回きましたが、いつも私に「来たぞ」という連絡だけしてきました。


そして、まもなく顔をだすこともありませんでした。


やっと来たときは、母の臨終の時でした。


それまで母は、兄に会いたいといっていましたが・・・「忙しいんだから呼ぶな!」と一点張りでした。



もちろん、母の貯蓄から介護施設の費用はだしましたが、一部は私がだしています。


なによりも、母の遺産には私がもらうはずの賃金が入っていました。


つまり、母の遺産そのものが、私と母の共同財産だったのです。


でも、母が闘病している最中に、私の分を差し引くのは気が引けました。



「今まで家賃をタダで暮らせたんだから感謝しろ!母の位牌とお前の身の回りのものを持って、サッサと出ていけ!!」と兄は怒鳴りだしました。


「いいか!?お前の実績など関係ない!全部、長男の俺のものだ!!」と兄が言ったときは、ここまでバカだったのかと、情けなく思いました。



私は自分の実績など、主張したことはありません。


法律上からも私の場合は、3等分プラスαが認められるはずです。


それでも、兄がおとなしくするという条件で、兄の最初の要求通り3等分することに同意したのですが・・・。


当日は、兄嫁が途中退席して実家へ行くといって消えました。


それからの兄の要求は、後に私がヘルペスを発症するほど、すごいものでした。



私が絶対に同意しなかったというより、できなかったのは、私自身も母の遺産を形成したのもありますが、母の家のローンは私名義だったのです。


今も返済中のローンですが、この時はまだまだ残高があるのに兄に形式上渡しただけでも、なんらかの方法で転売することは予想できました。


もちろん、まっとうな売却方法ではないはずです。


そうなれば、私は住む家を失うばかりか、契約違反でローンの全額返済を銀行から請求されるに違いありませんでした。



弟はその間も困惑していました。


弟の結婚を兄が祝福しない理由はただ一つです。


困り果てている弟に、兄の反対理由を告げたのです。


すると兄は「二人してグルになりやがって!おまえ(弟)が結婚するなら、おまえの預貯金をよこせ!!」と兄が絶叫しました。



困惑していた弟の顔は、みるみる冷静さを取り戻しました。


まもなく(実に6時間ぶり)兄嫁がやってきました。


待っても待っても、兄からの報告がこないのでやってきたのでしょう。



それから兄夫婦は、私たちから消えました。


私たち兄弟の中で、いろんな経営をしており金持ちである兄夫婦は、遺産の65%にあたる財産を持っていきました。


母が亡くなった後の諸々の出費はもちろん、葬儀費用、墓地購入も私がやりました。


もちろん、私が喪主を務めました。


これは、兄の強い希望でしたが、お金のせいでそうするなんて、この時の私は考えられませんでした。



長男だ!と叫んでいた兄の影が消えました。


母の一周忌もきません。


それ以降、本当に消えました。



今日は神前結婚式の日だそうです。



あの後、義母が60代で亡くなってしまいました。



いろんあ悲しみがあるから、姉弟が仲良くやってこれたと思っています。



日々、感謝。