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悲しい思い出7

それからも母の病態は悪くなり、ついに血小板は4を切ってしまっていた。


結局は、母は輸血することになった。


「先生方、本当に私は吐血しないでしょうね⁉」と母は何度も死神先生とルンルン先生に念を押していた。


みんなが緊張する中で、ルンルン先生が母の腕に針をさした・・・!!
けれど、静脈の細い母にルンルン先生では無理だったようだ。


死神先生は、看護師さんに針をうつように頼んでいた。


輸血したのちの数日間は穏やかな日々が続いた。
結局、輸血は3回受けることとなった。


輸血後の拒否藩のもないとわかった母は、もうこれ以上輸血したくはないと、血液によいとされるものは積極的にとるようになっていた。


けれど、病室に私が行くたびに母はぶどうを食べるようになり、そのうえで乳酸飲料を4、5本飲むという生活をしだしていた。


母の一族に糖尿病はいなかった。
長い入院のストレスが一時的に、母にこのような行動をさせているのか?と私は思いだしていた。


そんなある日、病院の廊下をバタバタと音をたてて4、5人の人が病室になだれ込んできたのだった。


先頭に立って病室に入ってきたのは、ルンルン先生だった。


あまりの勢いになにごとかと私が尋ねると、


「この数日間、糖度が上がりっぱなしだったんです!
辛抱してしばらくみていましたが、これ以上だと命が危険となる数値になりますから・・・。」


そういうと、母のお腹に注射針をルンルン先生は刺したのだった。


『糖度?その薬はインシュリンだとおっしゃるのですか?』という私の問いに、ルンルン先生は静かにうなずいた。


『治療薬といわれるステロイド薬のせいなのですか?私はそんな副作用があるなんて聞いてませんよ⁉』


ルンルン先生と私は、それほど仲が悪くなかったが、定時に帰る彼女とは殆どすれ違い状態であったのも確かだった。


「それは、本人さんにお話ししてあります!」とルンルン先生は私に挑むように言った。


その言葉に驚いた私は母の顔をはじめてみた。


「私は・・・、糖尿病がどんな病気だか知らなくて・・・。」母の顔が泣きそうに曇っていた。


薬の副作用により発症した、I型糖尿病・・・、母は死ぬまで苦しむことになってしまった。