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悲しい思い出8

貧血にとって栄養のあるものを摂らなければならないといのに、母はステロイドの薬の作用で糖尿病になってしまいカロリー計算を強いられる生活をしなければならなくなった。


ステロイド薬の副作用はそればかりではなく、母の顔がパンパンに丸くなり私たち家族にも口数が少なくなってふさぎ気味の状態となってしまった。


いつも、どんなときでも明るく立ちふるまってきた母は日に日に表情が暗くなってきた。
そして、また貧血の状態が悪くなり輸血となってしまった。


治る兆候を期待するどころか、この先の暗い結果を連想する日々が続いた。


そんなある日の午後、私と母は二人っきりで病室にいた。


検査だ、調査だ、診察だという病院での日々だったが、この日は珍しく誰も訪ねてはこなかった。


午後から私が病室に入ってきてからというもの、母は一言も口をきいてはくれなかった。


そんな母をしり目に私は黙々と母の洗濯物をたたんでいた。


「あのね・・・。」
母がそう言って私に語り掛けてきた。


「もう本当にこんな辛いことは嫌だ!おまけに糖尿病にまでなってしまって・・・。」


ルンルン先生がインスリン注射を初めて打った夜は、母は絶食だといわれた。
それでも母は、お腹がすいて死にそうだと私に訴えた。


ルンルン先生に私は絶食の意味を問い合わせた。


ルンルン先生がいうには、今夜はカロリーを摂ってもらっては困るからという事だった。


眠れず辛いという母、カロリーを摂ってはいけないというルンルン先生。


私の頭の中でどうすればいいのかと途方にくれた。


しばらくして私はある結論を見い出すことができた。


なにか食べたがる母は不憫だし・・・、カロリーを摂らなければいいのではないかと私は思った。


病院から少し離れたスーパーに私は買い物に行った。


当時としては珍しく夜遅くまで営業しているスーパーで買い物をすると、患者の家族が使えるキッチンへと向かった。


この病院の旧病棟は、キッチンが離れていた。


研修医の先生も暖かいものが食べたいときは、ここを利用する人もいた。


急騰スペースからお湯をだし、ガスを点火させた。


そのころには、母の様子を見がてらに前の研修医の彼女が遊びにきていて料理を運んできた私とバッタリと会った。


私は驚いた!
ルンルン先生が帰っているから、病室には母だけだと思い込んでいたから、なおさら驚いてしまった。


「今日は、絶食じゃなかったのですか?」
まだ病室にいる私を彼女も驚きながら、私に質問した。


こっそり母に料理を食べさすはずだった私は、しどろもどろ気味に彼女に事情を話した。


「なるほど、それはいいアイデアでしたね。あ・・・、美味しそうですね。では、私は帰ります・・・、お大事に。」


前の研修医の彼女が去ると、母はむさぼるように料理を食べて、なんとか寝てくれた。


とっさに考えた私の料理は、きのこ焼きそばだった。


麺は糸こんにゃく、シメジ、えのきだけ、すり生姜、香りづけのためのしょうゆ。


このほぼほぼ0kcalのレシピは後に、前の研修医の彼女が納得してくれたことが私の自信となって、病院内のいろんな人やダイエットをしなければならない人に話した。


この次の日の午後、母は突然私にとんでもないことを告げることになる。